埼玉栄高校はスポーツが盛んで競技種目も多く、インターハイはもちろん在学中に世界大会に出場する選手もいました。
余談ですが社会人になってから「埼玉栄高校卒業」と言うと5人にひとりくらいの割合で「えっヤンキーだったの?」と聞かれることがあります。
私達より上の先輩たちは少々ヤンチャな方々もいたと聞いていますが、私は真面目な高校生でしたよ。
でも1年生のときの隣の席のK君は両眉毛がありませんでした。(ビー・バップ・ハイスクール全盛期ですから)
話を戻します。
体操部には中学時代に全国大会に出た実績のある生徒など、私より上手な人ばかりで同期は10名くらいいました。
この頃の髪型は「角刈」でしたが、ときどき部活内で問題が起きるとなぜか「連帯責任」となり全員「坊主」にされていました。
はじめの頃は最高の環境で毎日練習できるのが嬉しかったのに、次第に練習するのがイヤになっていきました。
中学時代とはまわりのレベルが違いすぎて、上達しない自分に苛立っていました。
「もっと難しい技ができるようになりたい」と思って自ら選んだ道なのに、怪我も多かったこともあり3年生になった頃には競技を続けるのが楽しく無くなっていました。
私は物事を見切るというか諦めるのがはやいのです。
部活の監督には「お前は石橋を叩いて壊しとるやなか!」と言われたことがありました。
慎重に過ぎて結局、理屈で納得できないと無理はしない性格でした。
この頃からできるだけ大人しく目立たないように過ごし「早く卒業したいな」なんてことばかり考えていました。
つづく