私のこと①

1970年3月1日生まれ(ショパン、芥川龍之介、モロゾフ、加藤茶、中山美穂、ジャスティン・ビーバーと一緒です。)
母の実家があった新宿区で生まれ、聖蹟桜ヶ丘から上尾に幼稚園の年長の時に引っ越しました。
幼稚園の年少の頃、聖蹟桜ヶ丘の交差点で青信号を手を挙げて渡っていた私は、曲がってきた車に跳ね飛ばされ、救急車で運ばれたことがありました。

小学生の頃は友達とワイワイ遊んで過ごすのが好きな活発な子だったと思います。
訳も分からず児童会の書記に立候補し、選挙活動&演説をして当選したこともありました。
この頃は比較的目立ちたがりだったかもしれません。

放課後は、友達と森にクワガタやカブトムシを取りに行ったり、ザリガニを捕まえによく行きました。
きっと皆さんはザリガニはよっちゃんいかを餌に「釣る」ものだと思っていませんか?
私達の捕まえ方は、田んぼなど水の張った中にザリガニの巣穴があり、その中に腕を突っ込んで手探りでザリガニを引っ張り出すという捕まえ方をしていました。
指を挟まれて痛い思いをしたり、強く引っ張りすぎてハサミだけ取れてしまったりすることもありました。
上腕まで入るくらい巣穴は深いので、全身泥だらけになりますがとっても楽しい時間でした。

スポーツは大好きでしたが、野球をはじめ球技は苦手でした。
小学校の頃はクラブ活動で陸上クラブで短距離をやっていて、中学校で器械体操に出会いました。
はじめは部活見学でバスケ部を見に行ったのですが、となりでバック転や宙返りをしているのを見て「すっげ〜!俺もやってみたい!」と一瞬で魅了され、次の日には体操部に入部していました。
その日家に帰ってすぐ、布団を敷いて「倒立」の練習をしたのを今でも覚えています。
運動部が盛んな公立学校だったので練習は厳しく、こっそりトイレで水を飲んだら先輩に叱られる・・・そんな時代でした。
部活の決まりで髪型は全員坊主頭。
上尾市や埼玉県の大会に出場し、表彰状もたくさんいただきました。
基本的な技ができるようになってくると「もっと難しい技が出来るようになりたい!」と思うようになりました。
高校進学の進路を決める時期になり、名門の埼玉栄高校に特待生で行くことが決まりました。

つづく

煙山 光宏

1970年生まれ。
フソウ開発工業株式会社の2代目社長であり、けむやま行政書士事務所の代表行政書士です。