目の前で起きている「事実」はひとつ、その「事実」に対し人の「解釈」は無限大。
今回は人の「解釈」、個人の意見について考えてみます。
与えられた権利を使わない「自由」ばかり選択していると、いずれ錆びつき劣化する。
人に「あなたはどう思いますか?」と意見を求められて、「特にありません」とか「分かりません」と答える人がいる。
これは、自分で考えることを放棄しているだけ。
こう答えておけば、それ以上掘り下げて聞かれることがないし「楽」だから。
その人の内心は「面倒くさいから、よく分からないから、的外れな返答をして笑われるのがイヤだから」とこんなとこかな。
個人の意見を自由に言えることは「義務」ではなく「権利」だ。
「貴様のような分際で意見するなど100年早い!」と意見を言いたくても言えなかった時代を経て、勝ち取った権利なのだ。
「私はこう思う」と自由に意見が言えるはずなのに、言わない「楽」に逃げ、与えられた権利を使わない「自由」ばかり選択していると、いずれ錆びつき劣化する。