「人を信じる」とは何か?理想と現実のギャップに気づくことが信頼の第一歩
「人を信じるってどういうこと?」
多くの人が一度は直面するテーマではないでしょうか。
私たちは人との関係の中で、「信じていたのに裏切られた」と感じる瞬間があります。
しかし、その「裏切られた」という感情の多くは、相手の行動そのものではなく、自分の中で作り上げた“理想像”とのズレから生まれていることが少なくありません。
信頼していた部下の行動に感じた裏切り
ある30代の営業マネージャー・Sさんの話です。
彼女は部下のTさんに大きなプロジェクトを任せました。
真面目で責任感が強いと感じていたTさんに全幅の信頼を寄せていたのです。
ところが、納期直前になってTさんが体調を崩し、プロジェクトの進行に支障が出てしまいました。
Sさんは「信じていたのに…」と失望を口にします。
しかし冷静に振り返ると、Tさんは無理をしてでも仕事を抱え込みがちなタイプで、誰かに助けを求めるのが苦手だっただけ。
Sさんが信じていたのは「どんなことがあってもやり遂げてくれる」という、自分が勝手に作ったTさんの理想像だったのです。
“信じる”とは、その人の全体を受け入れること
このように、「信じていたのに裏切られた」と感じるとき、実際には相手が変わったのではなく、自分の中の期待が裏切られただけということがよくあります。
人は誰しも、良い面とそうでない面の両方を持っているもの。
信じるというのは、相手の見えていなかった一面が現れたときに、それをも含めて「それもこの人なんだ」と受け止める力なのです。
真の信頼は「揺るがない自分」から生まれる
誰かを信じるということは、相手に依存することではありません。
「信じる」とは、自分の期待が外れたときでも動じない、自分自身の軸を持つこと。
冒頭のSさんも、後にこう語りました。
「Tさんの弱さも含めて受け入れられたとき、本当の意味で信頼関係ができた気がした」と。
では次に、「人を信じることが怖い」と感じている人向けに、心の壁をどう乗り越えるかという角度から記事を書いてみます。
「人を信じるのが怖いあなたへ」―裏切りの経験を乗り越えるために必要なこと
「もう二度と人を信じたくない」そう思ったことがある人は、決して少なくありません。
過去に信頼していた人に裏切られた経験があると、心に深い傷が残り、「信じること=危険なこと」と感じるようになってしまいます。
でも本当に、人を信じることは“リスク”なのでしょうか?
親友の裏切りで人間不信に
20代の女性・Kさんは、高校時代からの親友に秘密を漏らされたことで深く傷つき、それ以来、新しくできた友人にもなかなか心を開けなくなりました。
「信じたのに裏切られた。もう誰も信用できない」——彼女はそう話します。
でも実は、親友はKさんを意図的に傷つけようとしたわけではなく、「誰にも言わないで」と伝え忘れていただけだったのです。
それでも、Kさんの中で描いていた「絶対に自分を守ってくれる親友像」が崩れたことで、裏切られたと感じてしまったのです。
「信じる=期待しすぎない」ことの大切さ
人を信じるというのは、相手を完璧な存在だとみなすことではありません。
「きっとこうしてくれるはず」「あの人なら絶対に…」といった期待が強すぎると、少しのズレで裏切られたと感じてしまいます。
本当の信頼とは、「もし期待と違うことが起きても、自分はその人と向き合う覚悟がある」という姿勢なのです。
“信じる”ことの再定義
Kさんは、その後カウンセリングや自己対話を通じて、「人を信じる=相手に裏切られない保証を求めることではない」と気づきます。
・相手には相手の考え方や事情がある
・100%思い通りにいかないのが人間関係
・それでも関係を築きたいと思える人なら、一歩ずつ信じてみる
こうした意識の変化によって、Kさんは少しずつ周囲との距離を縮めることができました。
読者に伝えたいメッセージ
信じるとは「都合のいい期待を抱くこと」ではありません。
相手のすべてを、良い面も弱い面もひっくるめて認められるかどうか。
それができるようになると、人間関係は驚くほどスムーズになりますし、自分自身もまた、他人の理想像に苦しめられることが少なくなります。
このように、信頼関係は理想と現実の間にある「ズレ」に気づき、そのギャップを自分でどう受け止めるかにかかっています。
信じることが怖いのは、それだけ人とのつながりに価値を感じている証拠です。
でも、「信じる=失敗しない関係を築くこと」ではありません。
信頼とは、ズレが生じたときにそれでも相手と向き合おうとする自分の“覚悟”なのです。
裏切りや失望を経験したからこそ、人との本当の関係性を築くチャンスが生まれる。
少しずつで構いません。まずは「自分を信じること」から始めてみませんか?