他者や全体を無視して自分のやりたいことを主張する「わがまま」なヤツ

今日はまとまりがないけど、感じたことを書きます。

仕事でもプライベートでも、自分がやろうとしていることに対する障害を「迷惑」と捉える人がいる。

その「迷惑」と「わがまま」の背後には「自分らしくいたい」があるのだろう。

もしその人が自分の立場を利用して「わがまま」を通すような人は、パワハラに要注意である。

自分に自信がないのに正当性を主張したい人がよく使う言葉に「みんな」がある。

当事者以外の第三者である「みんな」の存在を口実にして、遠回しに自分を承認してもらいたがるのだ。

「みんな」とは抽象的でぼんやりした「誰か」だ。

「みんな」を持ち出せば、なんとなく権威付けができたように勘違いできてしまうところがミソ。

「みんな」や、権威や力のある人またはありそうな「誰か」を持ち出して、自分の正当性を主張したいだけなのだ。

「先生が」「お客様が」「〇〇さんが」言っていたと。

「みんな」や「誰か」を持ち出せば、相手の置かれている状況や事情を考慮せずに、とりあえず「あなたに落ち度があるのだ」と立証できたような雰囲気を作れるから。

この空気を醸し出す必要がある人にとって、「みんな」や「〇〇さんが」は欠かせない便利なキーワードなのだ。

突き詰めていくと、自分は自分であることをただ肯定したいだけかもしれない。

しかし、恐れからそうは言えない気持ちが「みんな」にすり替わっているなら、まだ可愛い方かもしれない。

話はそれるが、自分の頭の回転の良さをアピールするかのように、思いついた「皮肉」を言ってやったぜ的に「ドヤ顔」する人は最低である。

他者や全体を無視して自分のやりたいことを主張する、そんなヤツを「わがまま」というのだ。

自分自身を肯定したいけど、一番近くにいる人に認めてもらえていないのかもしれない。

一番認めてもらいたい人は、もうこの世にはいないのかもしれない。

自分で自分を認めるためにも、他者や全体視点を持つことができるかどうかが「カギ」になりそうだ。

煙山 光宏

1970年生まれ。
フソウ開発工業株式会社の2代目社長で、
ジッピー行政書士事務所の代表行政書士です。