「安心」と「安全」

「安心」と「安全」は対立する

以前、文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』で社会学者の宮台真司さんがこんなことを話していました。

『日本人はとにかく「安心」したがるが、海外では「安心」を求めない。』

『「安心」と言うのはゼロリスク思考・お任せ思考で、孤独になると陥りやすい、家族や地域との関係が重要。』

客観的か主観的か

私たちは「安全」や「安心」という言葉を、同じような意味で使うこともよくあります。

しかし、「安全」は「安全性」などと使われるように客観的な意味で使われます。

安全の反対の言葉は、「危険」。

一方、「安心」は「安心感」などと使われるように主観的な意味合いがあります。

安心の反対は、「不安」。

「安心」と「安全」の感じ方

  1. 「安全」であり「安心」だと思う
  2. 「安全」であるが「不安」を感じる
  3. 「危険」であるが「安心」と考える
  4. 「危険」であり「不安」を感じる

多くの人が「安全」と認識する状況であって、全ての人が「安心」と思ってくれるのであればいいのだけど、実際には「安全」が確保されていても「不安」を感じる人がいます。

また、逆に「危険」なモノ・事でも「安心」と思ってしまうこともあります。

食の安全

多くの人々が安全なのに不安と感じたり、危険なのに安全と思うのはなぜでしょう?

例えば、国産の食品と輸入食品のどちらかを選ぶとき、国産と言う理由で選ぶことがあります。

主観的でなんとなく国産だから「安心」と。

日本国内で販売されているスナック菓子の中には、海外の食品安全基準を満たしていないものも少なくありません。

例えばアメリカでは食品には厳しく「有害物質の表示」が義務付けられているので、日本の食品(特にスナック菓子)は「WARNING!」と注意喚起してあるものもあります。

自分の口に入り体を作るものなので、しっかり目で見て確かめたいものです。

建設工事現場の安全

工事現場を考えてもらうとわかるのですが、手順・行動を確認した上で多少の「危険」はあるけど、適切な資格を持つ者が、許される範囲で作業する場合に「安全」を確認するのです。

建設業界ではゼネコン企業などで毎年「安全大会」が開催され、工事現場で働く人々の「安全」を再確認します。

「安心大会」や「安心確認」ではないのです。

まとめ

他人が感じている「安心」を信用せずに、自分で「安全」を確認すること。

その上で、自分自身で影響を及ぼせる範囲のことに集中して準備することが重要で、考えてもどうにもならないことは考えないこと。

誰にとっても完全で絶対の「安全」な状況は あり得ませんが、「安全」を確かめて自分の身は自分で守るしかないのです。

 

煙山 光宏

1970年生まれ。
フソウ開発工業株式会社の2代目社長であり、けむやま行政書士事務所の代表行政書士です。